患者さんの家を訪問した理学療法士が、こう聞かれたそうだ。
「生きがいって何ですか?
人生は何のためにあるのでしょうか。」
患者さんは70歳。
大腸がんの術後で、人工肛門がある。
1LDKのアパートに独居で生活保護。
以前の生活や家族のことは、話したがらない。
そんな人生の先輩からの質問に、理学療法士は答えられなかった。
いま、充実して生きているなら、考えたこともない。
自分のなかに答えがなければ、答えられない。
または、忙しく日々を過ごして、そんなことを考えている時間がない。
難しい問いなので、考えても分からない。
生きがいを辞書で引いてみると、
「生きるはりあい。 生きていてよかったと思えるようなこと」
と定義されている。
つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものであると捉えることができる。
生きがいとは、日本語にしかないことばのようである。
英語では、生きがいを表す単語がない。
英語で表現しようとすると、
reason to live (生きる意味)
purpose in life (人生の目的)
となるようだ。
英単語がないため、「ikigai」が英語でも通じるようになっているそうだ。
生きがいを感じるときとはどんなときなのか。
内閣府が行った60歳以上を対象とした意識調査では、以下のような結果だった。
男性 1位 仕事に打ち込んでいるとき
2位 孫など家族との団らん
3位 趣味やスポーツに熱中しているとき
女性 1位 孫など家族との団らん
2位 知人や友人と食事、雑談をしているとき
3位 趣味やスポーツに熱中しているとき
この結果から、日本人が生きがいを感じる行動が分かる。
しかし、これらの行動=生きがい ではないと思う。
生きがいを感じる行動ではあるが、生きがいそのものとはちょっと違うと感じる。
精神科医の神谷美恵子によれば、生きがいという言葉の使い方には、2通りある。
一つ目は、生きがいの源泉、または対象となるものを指すときである。
(例:この子は私の生きがいですという場合)
二つ目は、生きがいを感じている精神状態(=生きがい感)を意味するときである。
この神谷の説では、外側の対象(他者)や自分の行為と、内側の対象(精神状態)の両方が生きがいとなる可能性がある。
内閣府の調査では、外側の対象や行為が回答の上位を占めている。
しかし、である。
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
方丈記にあるように、この世に永遠に変化しないものや人は存在しない。
外側に生きがいを求めても、いつかはそれを失ってしまう。
それが、生きがいと言えるのだろうか。
あまり注目されないが、内側の対象にこそ生きがいがあるのではないだろうか。
内側の対象の生きがいとは?
それは、こころの平安である。
こころの平安を目指すこと、これが生きがいではないだろうか。
いろいろと考えてみると、このような結論に達するが、みなさんはどう感じるだろうか。
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