私の趣味のひとつは、読書です。今、おもしろい本を読んでいます。物理学者が時間について書いた本ですが、数式は1つしか出てきません。ギリシャ時代のアリストテレスに始まり、ニュートン、そしてアインシュタインが登場し、時間の解釈が変わってきます。
この本の紹介は次回にするとして、今回は医師会会員誌に投稿した「時間」についての文章です。次回紹介する本の前座として、お楽しみください。
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ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
方丈記の冒頭で、無常観を表した名文である。一般的に、時間は過去から現在そして未来へ矢のように進むと考えられている。この時間が流れることを疑う人はいないであろう。しかし、本当に時間は川のように流れているのであろうか。
時間について考えたのは、哲学者だけでなく、物理学者、心理学者たちであった。ギリシャ時代のゼノンは、止まった矢のパラドックスにより運動は存在しないことを示そうとした。2500年前に、哲学者は運動は存在しない、つまり時間は流れていないと証明しようとしたのである。
哲学は胡散臭いと感じる人もいるであろう。医学は科学であり、観測・検証可能なものでなければ信じるなと教えられてきた。では、もっとも科学的である物理学者は、時間についてどう考えているか紹介しよう。
まず、理論物理学者デイヴィスの説明である。
「私たちは時間の経過を観測しているわけではない。観測しているのは、この世界の状態が、私たちが記憶にとどめている以前の状態とは異なるということだ。」
つまり、記憶というものがなければ時間の流れを感じることができないのである。このように考えるのはデイヴィスだけではない。多くの物理学者が、時間とは流れるものではなく、凍りついたまま存在し続ける大きな塊のようなものと捉えている。
まだ信じることができないかもしれない。では、われらがアインシュタインに登場していただこう。彼は友人への手紙の中で次のように書いている。
「過去・現在・未来という考え方は幻想に過ぎない。」
この驚くべき結論は、相対性理論から直接導くことができる。同理論によれば、現在という瞬間に普遍的な意味はない。同時性は相対的なのだ。同時に発生した2つの事象が、他の座標系では相前後して生じたように観測されることがあり得る。つまり、時間の流れは存在しないのである。
時間は存在しないという考えを受け入れるのは困難である。しかし、最新の物理学では、時間はもはや存在しないと考えられつつある。われわれは、この知見をどのように医療に活かせば良いのであろうか。
私は、認知症患者や終末期患者に接するときに、「時間の流れは存在しない」という考えが役に立つのではないかと思っている。
過去がないのであれば、後悔することもない。過去はどこにも存在せず、われわれの記憶の中にしかない。また、未来がないのであれば、不安を感じる必要もない。将来をあれやこれやと心配することはまさに杞憂である。現在に集中すること、「今」を大切にすることが、生きる知恵なのかもしれない。
認知症患者に対して、「今」が快適であるように接すること、環境を整えることが重要である。患者の世界に入り、否定することなく話を聞き、快適な時間を過ごせるようにする。こうすることで、患者は安心感を得ることができ、BPSDなどが減るのではないだろうか。
また、終末期患者に対しては、死の恐れ、病気に対する不安について考えることをやめて、「今」を生きることに目を向けさせている。死は苦しいものではないことや、痛みはコントロール可能であることを説明するだけで、患者の不安は軽減する。誰も死を逃れることができないことを話せば、穏やかに死を迎えるようになる患者もいる。
さらに、ただ死を待つのではなく、現在を大切に生きることを説明する。過去や未来にとらわれるのではなく、「今」に集中し、できることを楽しむ。こうすることで、どのような体調であっても人生を楽しめるようになるはずである。
後悔や不安を手放し、「今」を生きる。ブッダや鴨長明が説いた、生きるという本当の意味である。これが、最新の時間についての理解を医療に応用する方法だと思っている。
(2018.11.1 医師会小冊子より)
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