「あとどれぐらい生きられるでしょうか?」
患者さんから、このようなど真ん中ストレートの質問をされることは少ない。聴く方にも勇気がいるのだろう。
今週のとある患者さんの往診での出来事。患者さん自身の状態は落ち着いていた。落ち着いているといっても、100歳なのでそれなりに、確認が必要な点はある。診療開始時から、もう7年も経っている。以前は、自分で歩くこともできて、お話しすることもできていた。昨年から、ベッドでの生活が中心となり、会話も難しくなってきた。でも、ご飯も食べられて、時々ちょっと声が出て、穏やかな寝顔を見ていると、幸せそうだなぁと思えてくる。
自宅での介護は、患者さんの息子さんが中心である。息子さんを、太郎さん(仮名)と呼ぼう。診察が終わって、太郎さん(70歳代)から自分の病気のことについて相談があった。
今まで、介護もバリバリやってきていたし、持病があることなど聞いていなかったので、ちょっと意外な気がした。
半年前から、咳が続くようになり体重も減ってきた。心配になったので、病院で精密検査を受けたらしい。その結果、上葉優位型肺線維症と診断されたそうだ。私も初めて聴く病名だった。太郎さんは、ネットでいろいろと情報を集めており、教えてくれた。日本人が提唱した新しい疾患概念であること、一般的な肺線維症とは違うこと、症例数が少ないこと、有効な治療法がないことなどなど。
一般的な肺線維症は、肺の機能が徐々に低下し、呼吸不全が進行する病気である。肺線維症と診断されると、予後は3-5年と言われている。
ここまで、ずっと太郎さんの話を聞いていた。
太郎さんが、「あとどれぐらい生きられるでしょうか?」と、ストレートを投げ込んできた。
つまり、予後のことである。いろいろな答え方がある。昔の医師は、ごまかしたり、適当なことを言ったり、「頑張って治療しましょう」みたいな答えが多かったと想像する。きちんと答える勇気がなかったのである。
最近の医師は、「平均3年ぐらいです」とか、「抗がん剤の効果があれば、半年寿命が延長します」とか答えるようだ。以前よりは、きちんとデータを患者さんに示している。嘘を伝えたところで、ネットで検索すれば病気の予後などすぐにわかってしまうからだ。
ただ、きちんとしたデータに基づく予後を伝えることにも問題があると思う。あくまでも、平均でしかないからだ(実際は平均ではなく、50%の人が生存している期間)。予後3年とデータが示していても、6か月で亡くなる人もいるし、5年以上生きる人もいるのである。
「あとどれぐらい生きられるでしょうか?」
太郎さんの質問に答えるのではなく、こう聞いてみた。
「もし、あと1年しか生きられないとわかっていれば、何をしたいですか?」
太郎さんは、しばらく考えてから、
「家の片付けとか、途中の仕事を申し送りしたり。身の回りの整理もしたい」
声が詰まって、
「妻や家族に感謝を伝えたい」と涙を流した。
1年でしたいことが言い終わると、次の質問をした。
「もし、あと10年生きられるとわかっていれば、何をしたいですか?」
太郎さんは、またちょっと考えてから、
「10年あるなら、やっぱり家の片付けかな。引っ越ししてから、まだ整理できていない荷物があるし。10年あるなら、何か新しいことにチャレンジするかもしれない。でも、3-4年は今まで通りで、無駄にしてしまうかも」と答えながら、最後には笑っていた。
太郎さんには、こう答えてみた。
「つまり、予後を知ることはあまり重要ではないですね。寿命がわかって生き方が変わる人もいますが、多くの人は変化がないと思います。」
「あとどれぐらい生きられるかという質問は、いつ死ぬかということですよね。みんな、死ぬことを考えています。それよりは、今できること、生きることを考えた方が良いのではないでしょうか」
この答え方が一番いいとは思わないし、患者さんによっても受け取り方は違うだろう。
でも、太郎さんはこの1時間の会話の中で、泣いた時に死んで、笑った時にまた生まれたのである。
人生は、1日、1日の積み重ねである。今日、今、できることに集中する。その積み重ねが、私たちにできることではないだろうか。
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